東京の盆ぬけて来て青田かな

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八月のお盆には少し早いのですが、8月7日から9日まで二泊三日で両親が住んでいる京都へ行ってきました。これ、ふつうなら帰省と書くところかもしれませんが、桔梗之介は京都で生まれていませんし育ってもいません。東京生まれの東京育ちです。ですから、盆暮れの時期に「故郷へ一時的に帰る」という意味の帰省ではありません。

このあたりのこと、簡単に書きますと、父が京都の人で東京へ出て来て結婚。そして私が生まれた。それから歳月を経て、数年前わけあって両親が京都へ転居。でも私は東京に残ることに、という次第。

帰省という言葉は本来、「故郷へ帰って両親を省みる」という意味だとか。両親を省みるとは、両親を見舞う、安否を問うということ。いまでは田舎へ帰ることを帰省と呼んでいますが、どちらかというと両親を見舞うことのほうが肝心の主題のよう。

自分の場合、両親を見舞うという点で、京都行きを帰省と呼んでもいいかと思いますが、やっぱりどうもしっくりこない。自分の故郷でもないから田舎へとか、実家へとも言いにくい。これまでは、親元へなどと言ってましたが、最近はそのまま「京都へ」と言ってます。

これだと京都へ物見遊山に行っているように思われがちですが、実際に神社仏閣を歩いたり繁華街を散策したりカフェでお茶したりと、物見遊山と変わらないことしてますので、これはこれでいいかなと。

「京都よく行くよねぇ」とか「京都好きだよねぇ」と言われると親がいるから等とは言わず、シンプルに「そうです」とだけ答えることもあります。確かによく行くし、好きですから間違いありません。事情や背景を説明するのが億劫になってきたという側面があることも否定しません。

 東京の盆ぬけてきて青田かな
   久保田万太郎

さて親元は京都市内でも山に近く、周辺にはまだ田んぼも残っている。昔に比べると随分と宅地化されて田畑も少なくなりましたが、こうした風景はいつまでも見ることができるといいなと、勝手なことですが、そう思ってます。