不忍池の弁天さまに参る

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休みの日は散策がてら神社仏閣を訪れることの多い桔梗之介です。

八月四日、東京都台東区にある不忍池〔しのばずのいけ〕辯天堂〔べんてんどう〕を参拝。不忍池は蓮の名所で、おりよく花の見ごろを迎えていた。緑の蓮の葉に覆われた池に、ひときわ映える桃色の花が浮かぶ。

不忍池の辯天堂は東叡山寛永寺の辯天堂。江戸初期の寛永年間に天海(慈眼大師)によって建てられた。天海は寛永寺天台宗の総本山延暦寺になぞらえ、不忍池を近江の琵琶湖に見立てて、不忍池の中の島に琵琶湖の竹生島の弁天さまを勧請した。ご本尊は八臂大辯才天〔はっぴだいべんざいてん〕。

弁才天旧字体で書くと辯才天)あるいは弁財天(これは旧字体で書くと辨財天)、略して弁天さま。弁才天と弁財天ではニュアンスが違ってくる。ぼくは弁天さまのファンなので、このブログでもこの先ちょいちょい弁天さまにご登場願うかもしれませんが、基本は弁才天あるいは弁天と表記します。ただし、寺社において弁財天の表記を使っているところは、これに準じます。この辺の事情は日を改めて。

さて、『江戸名所記』には不忍池の辯天堂は、水谷〔みずのや〕伊勢守の建立とあり、不忍池辯天堂のホームページには、天海が「水谷伊勢守勝隆公と相談して島を大きく造成」と記されている。お堂の建築や中の島の造成には水谷伊勢守が関わったかもしれないが、なぞらえ、見たてというのは、天海の発想だろうと思ってます。